Tuesday, May 02, 2017

碧空1001 献身、献身性の度忘れ状態

1001 献身、献身性の度忘れ状態  初恋の献身性、それは、受胎が盗まれているような、コレカラ他ノ誰カニ降リカカルハズダというような、まるで記憶を試されているような、他の誰かになるために「私」が呼び出されているといった献身であるが、この、恐慌じみた、照らし出すと同時に揮発させてしまう忽光の機密を、遠近法に包まれた配偶生活の内密性と献身性は節約している。献身の機密は麻痺しており、他の誰かの身体に(例えば誰デモヨカッタ昭和天皇の身体に、例えば通り魔事件の誰デモヨカッタ被害者の身体に)献身が顕れることで度忘れ状態にある。  配偶生活の献身性は融通である。その、普通になる(すなわち、平均化の)幸福は、種の夢と夢の解が解離しない(ゴーストがかかる献身の)忽光と似てはいるが懸け離れている。初恋の献身には場所がかかるが、配偶生活には時間がかかる。配偶生活の前景が後景を代表する単純化は歴史的で、家族写真はそうしたのぞき穴であるが、全背景が前景の振りをする初恋ののぞき穴はタイム・スリップである。しかし、どちらの奥行も、光景が解離しない限りで、その思いがけなさに(和蘭陀に流されるように)光り出す。

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