碧空1020 まるで大きな言葉
1020 まるで大きな言葉
献身(化)が解離する技術革新としての擬態に振れると、上り詰めて来る本能の成就の、その即興的解放の余裕やずれや不正は寛容の技術に振れ、本能は才能の振りをする。才能の違いは寛容の技術の程度や差異であるが、それは平均化や提喩を通して、実体の揮発を一般化の猛威に変形する。持ち主のいない種に迫るのであるが、その肉薄は、虚偽や偽物が猖獗を極めることである。進歩とは種の猛威であって、真偽や虚実はどうでもいいのである。
擬態の気配を消すのが擬態で、それは倫理的にして妥当性を要求するのにいつの間にか種の猛威に屈するのは、個の振りをする種が、他の誰かの振りをして想起する献身をまるで大きな言葉とする、その意味の出現のようであるからである。それは、水仙に全質変化したナルキッソスがまるで大きな言葉としての「献身」の症状で、持ち主のいない種に迫って猛威を振るっているようなものだ。水仙とナルキッソスの間は決壊し、水仙に姿を変えることがナルキッソスの収縮、ナルキッソスの拡張で、この、個と種の区別がおかされた雌雄異体の苦悶を自食的に若返る雌雄同体の気配が鎮める。懸け離れているが似ている影と入れ替わるのである。


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