Sunday, July 02, 2017

碧空1041 種の配偶の夢、配偶の揮発、目の出現

1041 種の配偶の夢、配偶の揮発、目の出現  「むかしむかし」が擬似過去であるような世界の終わりの視野を開くように、究極の道徳は世界の終わりであり、ビッグバンの宇宙の終わりも黙示録的終末も心も、全背景が前景の振りをする擬似脱皮の気配、生き延びる気配である。  黒人がミシシッピ河をOLD MAN と呼ぶのは、それが究極の道徳、すなわち世界の終わりの視野を開くからである。十年に一度の大洪水というように遠近法に包まれて姿を現わすのではなく、ミシシッピ河の荒涼とした氾濫となってこの世の景色とこの世との間が解離しない決壊を想起する献身が、雌雄異体の双生を孕むのである。つまり、雄のミシシッピ河と雌のミシシッピ河が同体で、現在の広がりが遠心分離しないように全背景が前景の振りをして脱皮する擬似過去なのである。  世界の終わりは、雌雄異体の気配の(爆発的にひろがる現在の)断崖ではなく、OLD MAN の解が二重に通過する擬似過去の気配に被曝した既視感で、囚人と臨月間近な身重の女体を乗せて扁舟がOLD MAN の媒体である氾濫に漂って、逃げ場がないようなものである。同体から脱皮しようとする雌雄の(しかし)その配偶の揮発のために、囚人も囚人の水頭に寄生する(不気味なもう一体を孕んだ)女体も催眠術にかかったように、隠れない。目の出現である。  この目に被曝しては、囚人が初めて見るはずのヤマブキショウマは「むかしむかし」に属する究極の善である。むかしむかし、ミシシッピの雄河か雌河かが氾濫して、ヤマブキショウマとこの世の間がまるで咲くように変に光って決壊していました・・・というように、種の配偶の夢の、その、この世のものとこの世との間の決壊は、配偶の揮発なのである。(「OLD MAN」W.Faulkner)

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