碧空1046 アブラハムの心臓、清教徒の心臓
1046 アブラハムの心臓、清教徒の心臓
落下と零落の差異は、擬似過去の気配を消せないか気配を消すか、個と種の配偶が揮発するか揮発しないか、経験と伝聞の間が決壊するか決壊しないか、しかし、こうした差異は擬似脱皮である。それは、究極の善(善悪の零度)か善悪の遠心分離的な勾配か、にも対応している。雌雄異体の双生から雌雄異体が脱皮する振りをするように、究極の善(善悪の双生)から善悪の配偶が脱皮する振りをするのである。
OLD MAN (「野性の棕櫚」W.Faulkner)の気配に被曝することは、究極の善が「命の所在」というような前景の振りをして(責められて)アブラハムの心臓のように隠れなく、騒ぐ野性の棕櫚の黒い気配も究極の善の気配であるが、前景の振りをする心臓の鼓動は清教徒的な善悪の勾配なのである。しかし、「野性の棕櫚」は、善悪の零度か、善悪の程度か、選択を迫るのではない。そうした差異は本能の擬似脱皮だからである。アブラハムの心臓はまるで他の誰かの心臓のように薄気味悪く迫り、清教徒の心臓は恐れや怒りや悔いといった動顛を以て発作的に悪を躱そうとするのである。


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