碧空1053 冤罪性と贖罪性の半陰陽の症状
1053 冤罪性と贖罪性の半陰陽の症状
「自分が書いたものとは思えない」とレヴィ・ストロースが話すのは、ナルキッソス的なものの魅惑が襲っているのであるが、ナルキッソスはそれが水に映った自分の顔だとは思いつきさえしないというより、自分の顔だとは思えないのである。冤罪の如く他の誰かの顔が水鏡に入って祟るように、贖罪の如く他の誰かの思考が沈黙の草となって生える。
それこそは、レヴィ・ストロースが脱皮しようと藻掻いていたはずの、「それが私となって思考する」献身の気配である。というのも、この異郷感は、還元というものを疑うからである。他の誰かとなって想起する献身や他の誰かとなって話す言葉の、その媒体であることの擬似脱皮は、実体も配偶も揮発した、冤罪性と贖罪性の半陰陽の症状なのである。
取り返しのつかなさ「が」埋め合わせることと取り返しのつかなさ「を」埋め合わせることの半陰陽、すなわち、この主格と目的格の区別がおかされているのが、ナルキッソス的なものである。
「それが私となって思考する」は「他の誰かとなって思考する」セム系から、アーリア系が脱皮する振りをする。精神分析が科学でなくてはならないフロイトの夢や、還元的であることを要請するレヴィ・ストロースの夢は、擬似脱皮の気配を消そうとしても「無意識」や「構造」から脱け出せない擬態疲労から、ナルキッソスはそれが自分の顔とは思えないし、アブラハムは呼び出されたのが自分とは思えない。「nowhere to hide 」を、他の何かとなって想起するのである。


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