Sunday, July 23, 2017

碧空1055 重さの跳躍

1055 重さの跳躍  飛来するニュートリノを検出するはずのカミオカンデも、「魚服記」の如く何か擬態疲労が憂愁のように眠気のように覆う。小さな(しかし)懐疑する山女とばかり思っていたら大蛇であるし、その正体は実は鮒であったかのようにキラリ光るのである。  半具体としての言葉や貨幣(写真)の光は、世界の始まりを埋め合わせる世界の終わりに属し、爆発的に広がる光はブラックホールに閉じ込められて脱け出せない気配を消している。水頭となって奇形嚢腫がもう一体分の組織や器官を孕むようにブラックホールが一体分の宇宙を閉じ込めていても、それとは感じられない。爆発的に光が広がるのに時間がかかる宇宙が、爆発的に光が広がるのに場所がかかるブラックホールから脱皮する振りをする、そうした擬似脱皮の気配を消そうとしても「相対性」から脱け出せない擬態疲労から、他の誰かとなって話す方程式に照らし出されたアインシュタインの法則も、法則の振りをする神となって写し出されたアインシュタインの夢も揮発してしまう。  アインシュタインの媒体は光あるいは光速であるが、これは、言葉が光に先立つセム系からアーリア系が脱皮する振りをする彷徨えるユダヤ人の跳躍なのである。  「他の誰かとなって想起する」献身は魂の跳躍を光らせるが、「他の誰かとなって話す」言葉は意味の跳躍を、「他の何かとなって写す」貨幣は価値の跳躍を光らせ、アインシュタインの光あるいは光速からブラックホールが脱け出せないで光るのは重力の跳躍である。こうした媒体を通して跳躍するものが光るのは、この重さの跳躍が重さの擬似脱皮の気配を消せないのである。この逃れ易さは、媒体が映し出す魂が媒体をこの世のものにして(しかも)この世になる次元飛躍、二重の擬似脱皮だからであるが、遠近法の効果からは、媒体(半具体)が魂に被われて棲むというのではなく、魂の居場所が媒体(具体)であるかのように逆転して見える。

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