Saturday, August 12, 2017

碧空1068 SARTORIS「もう一人いる!」

1068 SARTORIS「もう一人いる!」  「SARTORIS」(W.Faulkner)の家系の連続性は、個々のSartorisの跳躍の平均が落下であるような義務が個々のSartorisの姿をして覚醒している、というように経過する。ニューオーリンズとミシガンを結ぶ鉄道となって覚醒したミシシッピの(雌雄異体の)気配や、双子のSartorisのジョンの姿をして覚醒した、その、もの凄い速度を一気に上げてこの世からいなくなってしまった落下としか言いようのない気配や、その跳躍に追い着こうとするのか空洞を埋め合わせようとするのか器官を目一杯に延長して自動車の疾駆となって落下しようとまさぐらないではいられない双子の生き残った片割れベイヤードの運動も、その疾駆が老ベイヤードの姿をしている(あるいは、その疾駆の運動を写真撮影したら土埃のような全背景となって老ベイヤードが写っている)といった心霊写真じみた老ベイヤードの(SARTORISの)不断の同乗も、すなわち、監視なのか献身なのか区別のつかない「もう一人いる!」というような同乗も、爆発的に遠心分離して現在が広がるための原罪の覚醒でなければ万有引力の覚醒、でなければこの世のものになろうとして家系の神経が集いて異性や幸を探してのたうつ、そうした擬似過去の片隅、SARTORISの気配を代表した肖像が宙に架かった片隅なのである。  しかも、双子の生き残った片割れ若ベイヤードの運動は、狼狽と当惑から犯人を探し始めるようなエネルギーの転移でもある。その疾駆は、犯人を探し出すために飛ばさなければならないが飛ばすには道路に規定され続けなければならない、といった転移である。それは、精神分析が症状の奥地に潜んで支配する命令(精神)を掘り当てるために他の誰かとなって想起しなければならないが他の誰かとなって話さなければならないために言葉に規定され続ける、といったような転移なのである。

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