碧空1126 MOON WALK44(ハイタワー牧師の屋根裏部屋)
1126 MOON WALK44(ハイタワー牧師の屋根裏部屋)
深南部の哺乳類の気配も同然の呵責は自ら自らの祖先になる種の夢も同然の世の光であるが、いつの間にか移ろう何だか分からない日常の(憂いの)広がりは、気休めに寿命を鎧って法則的に歴史的に瞬く間を凍結しようする写真強迫である。しかしそれは、傷痕にもならない真に迫ろうとして責めの気配(the sense of sin)が薄気味悪く迫ることにもなる。写真が迫るとすれば、それは真に迫るのではなく、個と種の間が決壊して実体が揮発する如くに、あるいは部分と全体の間が決壊して胸が潰れる如くに迫るのである。
ハイタワー牧師の回想も、真に迫るのではなく責めの気配が(気休めが抑え込んでいる憤怒の気が、光が)寿命も輪郭も遠近法も場所も失効させて太古の埃や影も同然の軍勢の、馬蹄の轟じみて迫るのである。
幼い頃ハイタワーが繰り返し屋根裏部屋に戻っていったのもトランクの中身と遭遇しなければならなかったし、目撃するはずだったからであるが、それは、ハンスが屋根裏部屋でもう一人のハンスを発見するようなもので(F.Kafka )、殆ど羊皮紙色の南軍の軍服からとったつぎ布の当たった(しかし北軍の軍服からとった異様な青いつぎ布も当たった)フロックコートで、折り目通りに展開していくと丁寧に畳み込まれた母の手の気配が聖痕のように噴き上がって来るのだった。
この薄れゆく銅色の回想のなかで薄れ果てずに思いがけなく迫るフロックコートが、深南部の記憶媒体であり、哺乳類の気配も同然の呵責としての屋根裏部屋であるために、ハイタワー牧師は、奇怪にもヨハネがキリストを見分けるように、クリスマスの存在を見分けるのである。それは、実体が揮発する如くに、胸が潰れる如くに思いがけなく迫るだけでなく、行方知れずになっていたトランクの中身が、深南部が、疫病のようにヒトの姿をして「八月の光」(W.Faulkner)のなかを歩くのである。


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