Wednesday, December 20, 2017

碧空1155 MOON WALK73(のぞき穴の揮発、瞬間の揮発)

1155 MOON WALK73(のぞき穴の揮発、瞬間の揮発)  Christmas の何年もの長い漂泊の、細々とした道路の延長は、Christmas となって想起する誰か(an agent)に導かれるように、長い歳月をかけて(脱皮する蛇のように)脱け出したはずの立ち昇る単調な祈りの声、へり下るかに見えて偉そうな説教と祈りの臭気へ(まるで退行するように)連れ戻されてしまう。祈りが空腹を満たそうとして空腹を引き伸ばしてしまうように、籠城じみた清教徒の末裔の硬直した臭気に致命的に窒息しないように大あくびして呼吸を拡張するが息苦しさはなおらないままに、流浪の細道は伸びる。しかしそれは、まるで静止(時間の極端な拡大)も同然なのである。  「それから彼は窓にのぼった、まるで暗い台所へ流れ込むかのようで、一つの影がそれを産んだ母なる漠とした闇へと音もなく動きもなしに戻ってゆくかのようだった。たぶん彼はもうひとつの窓、自分がよく通ったあの窓やそのためによく使った綱のことを思い出したかもしれない――いいやそうでなかったかもしれぬ。」(「八月の光」W.Faulkner)  思イ出シタカモシレナイ、ソウデナカッタカモシレヌなどとは、奇怪にも、まるで狼狽して時に向かってちょっと待ってくれ、といっているかのようだ。遠近法が解けて、まるで遍在する窃視が急に遍在に疲れたか、あるいは頓挫したというふうだ。  しかしそうではない。空白を満たそうとして目いっぱい引き伸ばしてしまった静止(時間の極端な拡大)を、遍在する窃視が写真撮影しようにも窃視がきかないのである。窃視がきかないのは、のぞき穴が(主語と目的語の間が)揮発するからである。祈りの臭気から脱け出したはずなのに連れ戻されている検束性が(方解するように)窓から脱け出すことが窓から忍び込むも同然であるような監禁性に屈折しても、Christmas となって想起する誰か(an agent)に導かれている媒体性に変わりはなく、Christmas が思い出すということの、その自由は疑わしいのである。  時制の遠心分離が疲労、頓挫したというふうな静止(爆発的な現在の広がり)は、写真撮影の瞬間とは何かまるで違って瞬間の揮発である。遍在する窃視が面食らったのは、この瞬間の揮発である。

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