Friday, January 12, 2018

碧空1170 MOON WALK88(ふしぎな黄昏1)

1170 MOON WALK88(ふしぎな黄昏1)  「Red Leaves」(W.Faulkner)の、子供たちが(まるであと少しで世界が終わるはずだからとでもいうかのように)漠として憂い見つめる「ふしぎな黄昏」は、何ヲシヨウカというような春愁の、その、喉元まで上り詰めて来ている予期がこの世のものとならないで(解明されないままで)いる焦燥の正体、あるいは注釈、あるいは屈折で、イキナリ二回目というような暮愁(何処でもないユートピアの発覚)である。所有ということが失う危険を冒す呼び声が既視の気配の焦燥となって黄昏のように迫るのである。怒りと恐れと(恐らくは)悔いに遠心分離した時制が崩壊、収斂した嫉妬が「壁に写る影」となって迫り、不思議なのである。  しかも、何か間違っているかのように他の誰かとなって想起する生贄であることが他の誰かの身体、奴隷のニグロの身体に顕れたために何か度忘れして、さらに漠としてふしぎなのである。  そのニグロは、インディアンの首長イセティベハが大いなる仮定であるあの世に馬と犬と共にお供させるはずの持ち物の一つであることを回避しようとして姿を晦まし、逃亡するが、ロボット原則を刷り込まれたロボットが人殺しを命じられた場合のように、近辺の沼地や森と部落の間を何昼夜もぐるぐる回って舞い戻ることになる。どんな回避も迂回に過ぎなくなる矛盾した命令の葛藤が、時間の拡大に変装して、詠嘆するのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home