碧空1197 MOON WALK115(本当の正体へ導く気があるかのように仕掛けて来る)
1197 MOON WALK115(本当の正体へ導く気があるかのように仕掛けて来る)
遠近法のなかに見える自然は、騙られる危険を冒して客観に転写されている。そうした擬態を鎧った自然と、learn とunlearn の区別が揮発した自然との間に自然は振動している。一方は誤る危険を冒すか誤るまいとする懐疑か、もう一方は擬態が解けて漠として予期していたことのみがこの世のものとなる気配であるが、誤る危険を冒す。
「審判」(F.Kafka )のKを総掛かりで包囲する自由の剥奪、監視や追跡の気配は、私的価値の、その難度の極点すなわち献身の(隠れなさの)変装であるが、誰もその変装を注釈したり、解いて見せはしない。
「酔いどれ草の仲買人」(J.Barth )は、それとは何か違う。弟子エベニーザー・クックを脅かす変装や陰謀は、教師ヘンリー・バーリンゲームが半ば正体を現わすようにして注釈もすれば、如何わしくも解き明かして見せさえするが、それはまるでなおも隠れている本当の正体へ導く気があるかのように仕掛けて来るのである。


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