Monday, March 05, 2018

碧空1205 MOON WALK123(密室で神に面接するOLD NICK)

1205 MOON WALK123(密室で神に面接するOLD NICK)  死体は「何も身に覚えがないのに追われている!」犯人である。死体はどのような死体であれ人殺しの一つの解であって、この暗示は、演題(form)としての人殺しと、演技(performance )としての人殺しと、死体とに仮装する。死体を抽象することは、この仮装を遡上するのである。死体にかかるゴースト、それが暗示としての犯人である。  死体から始まるミステリの、その死体は(自然のように、或いはOLD NICKのように)暴かれたがっている。神経症が解剖(精神分析)されたがっているように、その死体が公然となるために潜伏した(仮初めに犯人と呼ばれる)何か暗示を炙り出したいのである。しかし、その犯人が公然となるためには死体に手を引かれ、導かれるのであり、死体は精神のようなものになって潜伏するのである。死体が薄気味悪く迫るように犯人が薄気味悪く迫るのはその精であり、死体も犯人も公然とはしないのでる。  この、死体と犯人が解離しないような隠れなさこそはKの試煉(「審判」)であり、犯人がかけられる審判とはまるで何か違う。それは、密室で神に面接するような密室殺人で、それが客観に転写された暴かれなさこそはOLD NICKの冒険(失踪)であり、その仮装は双子のトリックなのであるが、双子の兄エベニーザーの眼前に、姿を晦ましていた双子の妹アンナが姿を現わすことは、そのアンナがアンナの振りをしている偽物なのではないかという疑いが出てしかるべきであるのに、あるいはタイム・スリップして何か違うという容疑がかかってもよさそうなものであるが、そうはならないところに人知れぬOLD NICKのはたらき(遠近法)があって、奥行はあるかのように続く。つまり、密室で神に面接することはとっくに始まっているのに「酔いどれ草の仲買人」(J.Barth)は最後の審判までの「つゆのひぬま」という範疇に連れ出されてしまい、ミステリに変容した密室殺人や双子のトリックが漠然と気にかかるのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home