Thursday, March 08, 2018

碧空1207 MOON WALK125(1の葛藤)

1207 MOON WALK125(1の葛藤)  誰もいない部屋を呑み込んだ鏡が空ろなのは、部屋が空虚だからではなく、鏡は鏡像になろうとして(しかし)いつまでも鏡像にならないからである。  この世のものは鏡としての媒体であると同時に鏡像としてこの世のものであるが、客観に転写されて具体としてこの世を占める限りで、このことを忘れている。この、守護するかのように忘れていること(この世がこの世のものを現し出すようになる、鏡であることと鏡像であることの解離)が、擬態を(擬態の気配を消して)鎧うことである。  この世のものとしての言葉や貨幣は、二重に媒体であるが、機能する限りではそれと知らず個別化すると同時に一般化する半具体であって、鏡であることと鏡像であることが解離した具体ではないが、解離しないこの世ならぬもの(すなわち霊的)というのでもない。  悪疫が猖獗する禍々しい国土を丸呑み込みした王位が空ろなのも、王位が王になろうとして(しかし)いつまでも王にならないからである。そんなふうにOedipus は王位に呼び出されている。鏡像も同然のOedipus の葛藤は、鏡像であることと解離して鏡となって潜伏してしまわない、その漠とした不在を解消するために身を窶して微行(おしのび)しないではいられない症状となって顕れるが、葛藤はこの世となって潜伏してしまわない。つまり、海の幸山の幸ではなく禍々しい死体で国土を累々と埋め尽くした種の夢(犯人)を探さずにはいられないのである。  ところが、疫病となって迫る責めの気配は、国土となって潜伏してしまわない種の夢であって、その本当の持ち主はOedipus ではないのにOedipus が責めを負うのは、狼狽からの転移発作であるが、それが、犯人を探すものが犯人であるという思いがけないトリック(どんでん返し)にも見えるのである。  この、王も同然であるがいつまでも王にならないことが王位であるような、この位格の葛藤が、1の葛藤である。

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