Tuesday, April 03, 2018

碧空1224 MOON WALK142(Hegel氏とKierkegaard氏)

1224 MOON WALK142(Hegel氏とKierkegaard氏)  この世のものの私的価値(の、その難度)を、身を潜めた場所は(埋め合わせるように現し出して)罰する。身を潜めた意味は場所の難度を罰し、身を潜めたしるしは意味の難度を罰し、身を潜めた物はしるしの難度を罰する。つまり、身を潜める種は、あるいは爆発的に広がる現在となって身を潜める世界の終わりは、個の難度を生き易くするのである。  しかしそれは、気休めに過ぎない。出現するや跡形もない種や時間が、あるいは隠れていたものが顕れる効果や「私」というものが、どうして気休め以上のものであるだろうか。個であることに面して個であることを超え出てしまう葛藤の症状を(狼狽から)一卵性分割するが、分割した先でヒドラのように再生している葛藤が眠り込む、すなわちそれが解離、解離しないのは葛藤が大目玉を開けているのであるが、Hegel 氏とKierkegaard 氏の差異は、この、解離するか解離しないか、遠心分離して展開するか収斂して隠れなくなる(nowhere to hide )か、その遁れ得ない振動がどちらに重心を移そうとして藻掻くかである。  それは、Darwin氏とJesus Christ氏の差異でもある。進化などというものは気休めに過ぎないが、種が個に仮装して個と種を混同する説得法の効果は、剥き出しになった個と種の間の決壊が忽光を放つように、何か救済の如くして抱き竦める。しかし抱き竦めるというからには、何もかもが隠れなくなるJesus Christ氏の磔刑や復活がおぞましいように、脅かしかけるのでもある。

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