Wednesday, April 04, 2018

碧空1225 MOON WALK143(暴かれないが真に迫る気休め)

1225 MOON WALK143(暴かれないが真に迫る気休め)  霊的(種の疼くような)問が具体(この世のもの)となって思いがけなく解ける misterium(次元跳躍)が、客観に転写されてミステリが解明される演繹(場所、主語、述語に仮装する物語)となっても気休めに過ぎないし、この解明が真に迫るかどうかは隠れていたものが顕れる効果でしかないが、 他の誰かとなって想起する献身に抱き竦められる、その、奇妙な落下や隠れなさも物言えば忽ちにして隠れていたものが顕れる効果に零落してしまう。しかし、この零落が気休めなのである。  死体の私的価値(の、その難度)を罰して零度にするのは犯人であるから、犯人は現場に舞い戻るというよりは場所となって潜み、死体を現実にするのである。この身を潜めた犯人を現実にする意味とは、死体の素材であると同時に形式であるような犯人を(犯人となって)探す王の潜伏である。同じようにして、異様な症状が映し出した葛藤(矛盾した命令)を現実にする意味とは、症状の潜在内容であると同時に形式であるような精神を(自ら自らを追い越して)分析する王が身を潜めることである。そのために、その犯人、その精神は、狩り立てる王とは(思いがけなくも)何よりも懸け離れて見えるのである。  Sherlock Holmes が犯人の身になって思考するということは、犯人と犯人を狩る王の関係が弟子と教師の関係に対応するということだろうか。しかしそれならば、推理する接近にはならない。教師と弟子の関係に対応するよう反転する限りで、この零落は、暴かれないが真に迫ることの、その接近と仮装が気休めにもなるのである。

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