碧空1257 MOON WALK175(Messiahの光景)
1257 MOON WALK175(Messiahの光景)
あるはずの予定調和的なMessiah の顔面に張り憑くイメージの、その、後れて来る主体は、うわさとなって漂うMessiah の意味であるが、一瞬にしてどこにもない。あるいは、誰と入れ替わったのか分からない暴かれなさのために犬や影のようにどこまでもつきまとう。
うわさとなって漂う「復活」を感じるのは器官としての意であるが、それが双子のトリックにならないように、死体が影武者ではないように、偽Messiah ではないように、漠として後れて来る主体の気配そのもので、後れて来るのは潜伏の気配である。Messiah だとどうして分かるのかといった問の頓挫、失効が、うわさとなって漂う如くなのである。ここでも、周りの尼僧がみんなマリアになって懐胎するというような光景が展開する。
Messiah の到来は、すなわち正覚は、そのような焦燥の光景なのである。この光景は含蓄に富んでいる。媒体となって献身する主体「の」葛藤は、隠れなさも暴かれなさも孕んだ大乗的な伝達(媒体であること「の」覚醒)なのである。


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