碧空1266 MOON WALK184(J.B.ヘザストーンの失踪)
1266 MOON WALK184(J.B.ヘザストーンの失踪)
J.B.ヘザストーンの手先の小刻みな振戦は、客観に転写されて犬や影のようにつきまとう追跡の気配が「身に覚えがないのに追われている!」というのではないが、後発催眠術にかかったように、間に合わせの音の素材を見つけ出す暗示が響銅を打ったような甲高い振動音になってつきまとう、その、最後の審判のような隠れなさ(nowhere to hide )が何処に転地しても待ち伏せている自由の剥奪、不断に「私」というものに面して鏡に他の誰かが映り込んでしまっていてまるでのぞき穴が盗まれているかのようなのに分身できないでいるのである。
スコットランドの最北端の地とされるJohn oBroat's House やクリーの塩水の泥沼の、石を投げ入れて耳を澄ましても底に届いた気配がいつまでもしないように渦巻いて落ちていく穴が、アフガニスタン、テラダ峡谷、棕櫚やアロエが羽毛状に垂れ下がった断崖絶壁が両側から迫って玄武岩の巨石が唐突に肉薄する隘路と、地続きになっているといった最内奥の気配は、既にして隠喩的復讐で、J.B.ヘザストーンに惨殺された尊者グーラブ・シャー、猿やミイラも同然に甲羅を経て枯れ果て常陸坊海尊のように長寿の老僧が三人の高僧となって想起するJ.B.ヘザストーンの常陸坊海尊のように後れて来る主体なのである。J.B.ヘザストーンの失踪(「The Mystery of Cloomber」C.Doyle)は、媒体性の(あるいは後れて来る主体の)三分岐の暴露が漠として禁忌であるからで、「盗むことは与える!」とでもいうような後発催眠暗示である。
後れて来る主体の三分岐とは、すなわち現実性、可能性、抽象性であるが、それは、あるはずの予定調和的な種の夢の四分岐、すなわち受身、自発、可能、尊敬でもある。その暴露が漠として禁忌であるために、J.B.ヘザストーンの失踪は、ゴシックともミステリともスリラーとも精神分析ともつかないキメラなのである。J.B.ヘザストーンが夜になればクルーンバーの塔の部屋という部屋に照明を灯して回らずにはいられないのは、漠としてその分岐を解離させたいからである。


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