碧空1274 MOON WALK192(日常の光景の失踪)
1274 MOON WALK192(日常の光景の失踪)
ホメロスが、神々が姿を現わして手を引き、導くように叙述して見せるように、Floyd も、矛盾する命令が症状の姿を現わして導かれるように叙述する。現われた姿は媒体であるから、導くとも導かれるともつかなく、突如方角を見失って不気味になる。
日常の光景は、文法を鎧った光景を意識が映し出すというより、リズムが映し出すように簡略されていて、このリズムが突如崩れて方角を見失うことになる。見慣れた道であるはずなのに初めて通る道に出てしまうのである。慣れ親しんでいたのは道や光景というより、道順に抽象したリズムを映し出した道や光景なのである。
種は正当性の起原であり、種のように出現しては逃れ去る「私」というものは正直、誠実の起原である。こうした妥当性は平均性でしかなく、「私」というものは、平均性(正しさ)を鎧う限りで、身体を現実にする陰画、身体が落とす影、身体が占める場所である。「それはアンスル・ボルンという30歳の巡回牧師で、ある日(1887年1月17日)彼は銀行から551ドルの預金をおろし、突然グリーンから失踪、2ヶ月の間行方不明であった。この間彼はA.J.Brownと名乗ってペンシルベニアのノーリスタウンで小さな雑貨店を切りまわし、仕入れ万端を立派にやっていた。しかもこうした仕事はそれまでに一度もやったことがなかった。1887年3月14日、彼は突然覚醒して家に戻ったが、その間のことは完全に忘れていた」
そんなふうに、あるはずの予定調和的な種や「私」も、日常の光景のように失踪する。ずっと先行追跡されているかのようにカール・ロスマン(「アメリカ」F.Kafka )が、不意をつかれるようにして壁の向こうに広がる空間は一体何ノタメニアルノダロウ!と俄然静寂のような耳鳴りがして方角を見失うように。


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