Wednesday, June 27, 2018

碧空1281 MOON WALk199(「慈悲は道具を探す」)

1281 MOON WALK199(「慈悲は道具を探す」)  とり返しのつかなさを埋め合わせるのに、「慈悲は道具を探す」。「目には目を」式に、流血を回避するために貨幣や言葉を以て、あるいは犯人の存在を以て、あるいは奇妙にも、というのも奇妙とは感じられていないふうだからであるが、真実を以て、埋め合わせようとするのである。  一体、隠れていたものが顕れる効果が埋め合わせになるものだろうか。とり返しのつかなさに面して、狼狽から卒倒するようなエラーじみた転移発作の一つではないのか。  卒倒や擬死は体力を消耗するが、真実の発掘作業も体力を消耗する。この体力の消耗で、とり返しのつかなさがどうでもよくなるとでもいうようなのだ。  新任の教区司祭エイルノスの不審な死の、埋め合わせは何か。慈悲が探し出したのは、原因ではなく単に真実というようなものであり、犯人の存在が現場に居合わせた個体の殺意でも発作でもなく、遠隔的に器官を延長する心霊技術や責めの源泉を不明にする縁生でもなく、星辰の配列や事故でもなく、そもそも犯人の存在ではなく、単に知られていなかったことが明るみに出ること、まるで知っていたかのように暗がりを照らし出されることなのである。真実というものの追究が徒労なのに連綿として駆り立てられて来たように見えるのは、まるで何か埋め合わせる力があるかのように認識していたからではなく、単に転移発作で、その転移の先は思わず目を瞑って虚偽に反転することを孕んでいるし、現に虚偽には何か埋め合わせる力があるかの如くである。  翻れば、とり返しのつかなさが埋め合わせることは酷薄であるが、その慈悲の零落(とり返しのつかなさを埋め合わせること)は、決断に見えて発作であるような道具性なのである。  シュルーズベリとは融和しない不寛容に過ぎる新任の教区司祭エイルノスの死は、しかし教区の暗渠に潜り込んで渦をなしていた私的な裁きの熱狂が予期していたものであり、しかしまたこのとり返しのつかなさを埋め合わせるのは裁きの熱狂を代表した個体の突出ではなく、エイルノスの墓穴を黙々と掘る男が、ふだんは寡黙で人を避けている男が不意に衆人のただ中に進み出て稲妻のように闇を啓いた証言、単に隠れていたものが顕れる効果を超えた説得の力、まるで男の声帯を通して誰かが揺るぎなく話すようにして顕れた真実、まるでシュルーズベリが体力の消耗と引き替えに発掘した真実なのである。(「The Raven of The Foregate」E.Peters)

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