Tuesday, July 03, 2018

碧空1285 MOON WALK203(引き裂かれたような癒着)

1285 MOON WALK203(引き裂かれたような癒着)  殺されたレナルド・ボサードの忠実な従者リュック・メヴェレルの失踪は、事件直後の闇中ということもあって悪いうわさや中傷から殺人者の逃亡と癒着してしまうが、ニューベリーの近くの二本の道が合流する地点で癒着を解いて二人は出会うことになる。すなわち、シャムの双子のように、逃亡者キアランと、全行程を裸足で踏破する苦行の巡礼者に見えるキアランと、キアランから影法師のように分身して寄り添うかに見えるリュックと、キアランの巡礼と逃亡がどうなるかを見極めるために片時も離れずに監視するリュックとが、重なり合うのである。(「The Pilgrim of Hate」E.Peters)  この、逃亡者キアランと影法師のような追跡者リュック・メヴェレルのシャムの双子のように引き裂かれた癒着は、実は逆にリュックの影こそがキアランとなって分身して度忘れしているために、その監視と追跡は精神分析のようなもので、キアラン自体を尋ねても空を掴むように消え失せてしまう。リュックに乗り移る限りでキアランは分身するからである。リュックがマシューと名乗って身分を隠していることは興味深い。というのも、マタイ(弟子)がJesus Christ(教祖)を追跡して尋ねることは、Jesus Christが見つかると同時に消え失せることだからである。  癒着を解いて二人が出会うことが、物語の葛藤である。分身は自由に見えて、何か乗り移って来るものにつきまとわれていて自由ではない。それは、精神分析やミステリに限らない。懐疑するために、タイム・スリップするように(他の誰かになるまで器官を延長して)分身するのである。  引き裂かれたように癒着したシャムの双子は、同じ媒質を呼吸するが矛盾した命令の拮抗の症状として、嫉妬から監視、追跡し、片割れの逃亡を共にして自ら追い詰められ逃げ場がないが、隠れなさとは何か違う(というより)まるで何か違う。それは、眠気のようで驚きであり、怒りのようで疾しさと混然として「私」が単独であることを疑っている。  幼児は他の誰かが落下することでさえ(嫉妬から)共にする。「私」に属するはずの夢のような落下が打ち寄せる海のように無関心で、一と二が引き裂かれたように癒着しているのである。それは、媒体性が転写された姦通、引き裂かれたように癒着した片割れも平行して(タイム・スリップするように)まぐわう姦通の媒質でもある。

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