碧空1314 MOON WALK232(守護する位格)
1314 MOON WALK232(守護する位格)
バスカヴィルのウィリアム修道士は、Sherlock Holmes 的に演繹、推理する一方で、捜し当てようとする犯人は道具、代行、器官の延長であるために中間性を鎧って暴かれなくなる。(「薔薇の名前」Umberto Eco)
刀剣や毒薬といった暴力に訴える媒体は器官の延長であるが、器官の延長が人の手から手へ渡る媒体なら、それは魅力に訴えるのである。言葉や貨幣や地位が魅力に訴えるとすれば、それは人の手から手へ渡るからであり、刀剣や毒薬も人の手から手へ渡る限りで魅力に訴える。
ところが、影がおどむ壷や垂涎の古書といった蒐集と死蔵へ駆り立てる物体は、魅力に訴えるにしても、霊や美食の探究に属していて、しかも雌雄異体の気配を感じぬ振りをするどころか、新しい天体の発見に譬えられるように、その現在の広がりは雌雄異体の気配なのである。捕食と生殖とどちらかが優越し、どちらかが二次的などということが一体あるものだろうか。
ところで、人の手から人の手へ渡ることは、一体どのようにして魅力に訴えるのだろうか。すなわち、本当の持ち主の手に渡らない限り光り出さないのであるから、光を失うことを恐れなくていいのに後れて来る恐れが守護するようにしてである。一体、この守護する位格は実体なのだろうか。まるで、中間性を鎧って暴かれない犯人のようではないか。


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