Friday, August 31, 2018

碧空1323 MOON WALK241(超伝達)

1323 MOON WALK241(超伝達)  悔悛として物語ることが告解のようなもので救済であるのならば、それは秘密を分け合うために毒を盛ることだからであるが、一体何が救われ何が救うのか、一体どのようにして。  まるでいつまでも実現しないかのような疾しさと焦燥状態の真理がとり返しのつかない一つの解として現実になるmetamorphosis を通して、まるで罪であるかのような疾しさと焦燥状態で前触れていた真理が救われるのである。しかしそれは、「高野聖」(泉鏡花)に出て来る猿や馬や蝙蝠が後れて来る主体をオマエノコトナンダゾ!と恐喝するように、あるいは高野聖の人面瘡が喋り出さないように猿や馬や蝙蝠といった拷問や変身を通して人面瘡を猿や馬や蝙蝠の相貌で染して白状させる解離の技術とは何かまるで違う。  「不在の騎士」(Italo Calvino )アジルールフォが中身が空っぽのままに兜と甲冑とで輪郭づけているかに見せかけた存在は、まるでいつまでも実現しないかのような疾しさと焦燥状態の真理がまるで罪であるかのように前触れているのであるが、このアジルールフォの兜と甲冑は後れて来る主体を猿や馬や蝙蝠のようにオマエハ他ノ誰カナンダゾ!と恐喝し、あるいは拷問や変身としての兜と甲冑に人面瘡を染して異端振りを白状させる伝達技術であるか、物語る尼僧が秘密を分け合うために毒を盛る超伝達(救済)であるかである。

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