Tuesday, October 09, 2018

碧空1349 MOON WALK267(邪悪が騒ぐ)

1349 MOON WALK267(邪悪が騒ぐ)  戻るべき場所があるはずなのに関心が騒がない、何も沸かなく味気ないのは、厭世である。食欲や性欲(媒体であること)が地位や貨幣や言葉といった二次媒体へ器官を延長して獲得とその威力を振るう欲に移るということがあるが、それも厭きるのである。それは、あるはずの戻るべき場所の、魂の、媒体であることの涸渇や超絶疲労である。  一方、飽カヌカモ、というのは、関心が地涌する蝉の声、蛙の声のようにカムカラカ騒ぐのである。そうした騒ぎ、駆り立てるものに滅ぼされるのではあるが、奇妙なのは、R.Bolano Avalos が扱うような、破滅に駆り立てられる人々である。破滅を急いで逡巡しないというふうでもないが、取り憑かれたように破滅と感じられる方向へ駆り立てられることで生きられる人々の反転する技術である。  ところで、何が破滅と感じられるのか。それは、いや継ぎ継ぎに、という方向の欠落、というより、この方向性からの脱落であるが、この落伍に駆り立てられのである。それは、「この世界の最内奥の洞窟の闇の中で目を開いてみる」ようなことであるから、それに駆り立てられることは恐怖というより、邪悪そのものが騒ぐのである。  この、騒ぐ邪悪、「この世界の最内奥の洞窟の闇の中で目を開いてみる」ことは、誰にも悲鳴が届かない孤独とは何かまるで違うが、そのun-dead 状態は、悲鳴が真空となって貫通する隠れなさと一体どう違うというのか。

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