Thursday, October 25, 2018

碧空1360 MOON WALK278(青色の淵、青い色の淵)

1360 MOON WALK278(青色の淵、青い色の淵)  零落と落下の間の深淵、断絶は、「私」というものの代表の水準で、「自由、孤独、思考」と「狐憑き、類、生首」の間の断絶や、個と種の間の激変として変形、反復するかに見える。  年をとった若さというように打ち寄せる敷浪(が孕む断絶)に無関心ではいられないのは、千歳もあらまほしきというように打ち寄せる敷浪が無関心ではいられないのである。  清少納言が、淵は、かしこ淵、な入りその淵、青色の淵、隠れの淵、否の淵などと列挙するうちに、月下に跳ねる兎のように興奮して来るのは、個々の淵に種が出現しては逃れ去る中間性が発光するだけでなく、年をとった若さというように青い色の淵(が孕む深淵)に千歳もあらまほしきというように青い色の淵が無関心ではいられないのであるが、それは、青色と淵の間の関係が単なる形容から同格に変貌するような、新しい種と範疇の出現(apparition-like suddenness)が眩しいからである。  それは、淵を(魂がこもったようにして、あるいは魂に包まれたようにして)形容するために淵の場所となって青色が潜伏するのではなく、青色がゴーストとなって淵にかかる神的顕現(何も変わっていないのにとり変えられてしまっている!)である。

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