碧空1385 MOON WALK303(半陰陽の異様な光)
1385 MOON WALK303(半陰陽の異様な光)
約束のないしるしとしての「私」というものや、言葉、貨幣、地位は、その魂が脅かされないようにモラルとしての直接性を鎧い、その妥当要求は、魂を脅かす世代交代では正直となって、意味や価値を脅かす注釈や隠喩や反語、あるいは金融では正当性となって、権力を脅かす新陳代謝では真性となって、三分岐する。
この三分岐の先で、種が個の振りをし、一般性が個別性の振りをし、あるいは全体が部分の振りをして、その矛盾、葛藤が解離しない限りで逆せ上がることになるが、この異様な光は、とっくに種や一般や全体なのに過冷却状態で個や部分が目一杯に引き伸ばされ膨らんでいるからであり、それが一気に収縮する現在が、恐慌である。あの、古色蒼然とした映像フィルムの、その過冷却状態の現在の、フォルマリンのような媒質に漬かって巷間に行き交い、こちらを見る、あの、雄でも雌でもない(と同時に、個でも種でもない)顔という顔の大写しにぞっとする、あの、魘されるような半陰陽の気配、異様な光である。
突如として見初める一撃も「救い主」の目撃も、個の追求の余り息衝くのか、種の追求の余り息衝くのか、逆せ上がってあるいは一気に萎む。本物の「救い主」かどうかを試す遊びはあるだろうか。しかしそれは、本当かどうかを扱う妥当要求と矛盾する。「救い主」は、世界の終わりがそうであるように直接性やモラルを鎧っては出現しないからである。
モラルの起原は、盗ま「れ」た記憶に面しての忘却発作、「な盗みそ」と分節される忘却発作としての傍視の、しかし目を凝らし器官を延長する傍視の、しかし「な見そ」と分節される解離である。
見てはならないのは、とっくに過ぎているのに過冷却状態の現在が解離しない半陰陽の(恐慌を孕んだ)光である。


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