Saturday, December 15, 2018

碧空1394 MOON WALK312(種の夢の現在、種の夢の臨在)

1394 MOON WALK312(種の夢の現在、種の夢の臨在)  そもそも、種が個の振りをする、身を窶すような姿を晦ますような反復こそは奇行であるが、この奇行性は転移して、自然や日常を建立する中間性になる。この、去ると同時に留まるようにして涌き出す中間性が、種が個の振りをする媒体性や他の誰かとなって想起する献身性の、その、種の責めと「私」(や自由)との間の断絶を世界遺産的に、密林や大伽藍のように埋め合わせるのである。  日常も、世界の終わりのように蜃気楼じみてはいるが(しかも)密林や大伽藍の如く、不断に(それと知らず)種の夢が試さ「れ」ている。種の夢が臨在しているのである。この臨在の気配に感じて密林や大伽藍の如く拡張するのである。つまり、日常性は臨在の潜伏であるから、その過冷却状態の現在の照明、時制や遠近法(傍視の効果)は臨在の隠れなさには届かない。  倫敦も、世界の終わりのように蜃気楼じみてはいるが(しかも)密林や大伽藍の如く、不断に(それと知らず)Dracula が試さ「れ」ている。Dracula が臨在しているのである。この臨在の気配に感じて密林や大伽藍の如く膨れ上がるのである。つまり、倫敦の喧噪や濃霧はDracula の潜伏であるから、過冷却状態のビッグ・ベンの時鐘の大音聲はDracula を暴らさまにしない。

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