碧空1428 MOON WALK346(フーガの暗喩)
1428 MOON WALK346(フーガの暗喩)
真偽はどうでもいい擬態疲労に真偽が気になる擬態が迫ろうとすることは、解ける擬態と鎧う擬態の間の深淵、断絶を媒介しようとする奇行である。底知れぬ肢の偏愛や、無窮のフーガの技法は、そうした奇行の技術である。
「黄色い雨」(J.Llamazares)が沈黙となってポプラの枯葉となって降り込め、獰猛な錆や黴や白蟻や蔓植物となって侵食し、とっくに崩壊しているのに過冷却状態のピレネー、アイニェーリェ村に降り積もるフーガのような崩壊の追跡は、そうした奇行である。
この世のものの場所となって潜伏するこの世ならぬモノはこの世のものの振りをするが、この世のものはこの世ならぬモノのように振る舞い、追跡は無窮になる。後れて来る主体が途中までしかやって来ない主体に迫ろうとする奮闘は、鏡像と被写体を比較して被写体に迫ろうと鏡像に肉薄すると、被写体ではなく鏡に(すなわち、この世のものに)ぶつかってしまい、しかも被写体を映し出したこの世のもの(鏡)は被写体のように振る舞って、鏡像が宙に浮いてしまう。鏡像とは、鏡に面して被写体に面したかのように魅(ばか)されることである。それは、この世のものになろうとして問と解の間に、この世ならぬモノとこの世のものの間に、宙吊りになっている。鏡像がこの世のものになることは、鏡との区別がおかされるような鏡の場所になって(すなわち)鏡が被写体のように振る舞うことなのである。
こうして、タンタロスを抱き竦める責めの気配の、崩壊しても崩壊が崩壊を問うて立ち上がって来るような、フーガの暗喩がある。


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