Thursday, February 07, 2019

碧空1430 MOON WALK348(好奇心、想起との区別がおかされた予期)

1430 MOON WALK348(好奇心、想起との区別がおかされた予期)  神体としての鏡はこの世のものとしての鏡であるから、死体の如く鏡と鏡像を兼ねる。神体は、鏡・鏡像の振りをする(と同時に)神のように振る舞う。鏡に面して鏡の秘密のようなものに面したかのように魅(ばか)される、その鏡像・鏡が被写体のように振る舞うことが、種の夢の絶対速度の伝達すなわち神通である。  その、問と解が解離しない振動が、この世のものが興味をそそることの(関心を焦燥のように励起することの)源泉であるが、興味が失せるのは振動しなくなるのではなく振動しないかのように解離するのであって、しかもそれは、後れて来る主体の好奇心がそれと知らず壁に写す影である。  あの、芭蕉の鵜舟の、鵜飼いの情景が始めは面白くしてやがて悲しいのは、とっくに味気ないのに過冷却状態の捕食の器官の延長が、その、好奇心に変質して擬足や岐れる指や嘴や爪や牙や蔓のように伸びる器官の延長の「壁に写る影」を垣間見てしまった、というふうだ。分業は器官の延長の社会的形態であるから、後れて来る主体の好奇心に変質して分岐する身分と階級の「壁に写る影」は味気なさのはずである。  途中までしかやって来ない主体の関心(想起との区別がおかされた予期)は、この世のものに面して、この世のものが種の夢のように振る舞う絶対速度の伝達で、その媒質は眠気のように覆いかける憂愁と焦燥である。

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