Saturday, February 09, 2019

碧空1431 MOON WALK349(後れて来る気配、途中までしかやって来ない気配)

1431 MOON WALK349(後れて来る気配、途中までしかやって来ない気配)  ヨハネはどのようにしてMessiah を見分けるのか。ヨハネの生首の出現が、単に生首がヨハネを代表する提喩ではなく、ヨハネが質料を蕩尽して生首に全質変化するようなmetamorphosis すなわち、この世ならぬモノの忽然とした出現(apparition-like suddenness)であるような、そうした狐臭を嗅ぎつけるのである。それは、この世のものに面してこの世ならぬモノに面したかのように魅(ばか)される絶対速度の伝達で、後れて来る主体の好奇心に変質するような器官の延長ではなく、途中までしかやって来ない主体の(釈迦牟尼仏が摩訶迦葉仏になって悟るような、想起と予期の区別がおかされた)献身である。  科学的保留の、その、器官の延長の魂は好奇心で、好奇心が打ち消す味気なさが好奇心の振りをするのであるが、つまり、科学的保留の、その、前のめりの追究と伝達の媒質は味気なさ(何か、後れて来る気配)であるが、献身の、その、絶対速度の伝達の媒質が眠気のように覆いかける憂愁と焦燥であるのは、何か、途中までしかやって来ない気配だからである。  ところで、漠として途中までしかやって来ない気配を代表するのは世界の終わりであるが、奇妙なことに、漠として後れて来る気配を代表するのも、科学的保留ができるだけ前方へ器官を延長して遠避ける世界の終わりなのである。

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