Friday, February 15, 2019

碧空1435 MOON WALK353(不可思議な激情、激情の解離)

1435 MOON WALK353(不可思議な激情、激情の解離)  神話、妖精物語、ゴシック、ミステリと続く系譜を貫く衝動は、媒体性(剥き出しになると薄気味悪く迫る)、その二重性を分割して転生することである。場所となって潜伏した被写体を後れて来る主体は探すが、この、遠避ける肉薄というような奇妙な葛藤に転生することは、のぞき穴の向こうに転生して浮上するそれが「私」の顔のようなので驚くというふうであり、何か途中までしかやって来ない焦燥や憂愁なのである。これから「私」になるのは誰なのか。そんなふうに、自由、孤独、思考は脅かされていて、国土に(人ノ姿ヲシテ伝染スル)悪疫が猖獗する、その犯人を捜す王こそが実は犯人であるというような苦悶、死に迫ろうとして悪疫に肉薄すると死体にぶつかってしまう、と同時に、死体の場所が潜伏しないために(後れて来るのではなく)途中までしかやって来ない主体の激情、それがオイディプスの場合である。  何よりも本当らしく何よりも嘘じみて、凡そ妥当要求が座礁してしまう神託が、イタズラシテ和蘭陀ニ流サレル!というように肺腑を抉って迫るのは、他の誰かに降りかかっているのではないか!という不可思議な激情である。カールの「失踪」(F.Kafka )も、コノ空間ハ何ノタメニアノダロウ!というような(のぞき穴の向こうの)空ろな広がりが、他の誰かに降りかかっている献身の激情なのである。  こうして、死体を廻るミステリは、双子のトリックと記憶喪失と失踪を扱うのであるが、後れて来る主体の謎解きは、途中までしかやって来ない主体の激情の解消であるのではなく、解離なのである。

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