碧空1444 MOON WALK362(盗まれているのに奇妙にも疚しい)
1444 MOON WALK362(盗まれているのに奇妙にも疚しい)
神の紛失は、metamorphosis の激情は、fugue (夢中遊行的失踪)のスリルは、鬱勃とも憂鬱ともつかない。それは、その、まるでエラーのような気配に魅(ばか)されることが、責めとも禁止ともつかないのである。
「狂風記」(石川淳)の結構は、虚構が往々にしてそうであるように、後景や中景が消滅して、CGが蝶々を横切らせるような、あるいはエキストラが何げなく通行する余裕もない。背景をピンぼけのままにしておけないし、ズーム・アップされる細部はすでに細部ではなく、見捨てられたものでも余計なものでもない。
もっとも、再現したら、カメラが図らずも写し込んでいたような思いがけない景色が現われないというのではない。しかしそれは、本当の持ち主が接近すると光り出すこの世ならぬものの忽然とした出現(apparition-like suddenness)のようなもので、思いがけない景色は、思いがけない景色を垣間見てしまった者が「私」なのに「私」を探しているようではないのである。
この、本当ノ持チ主デアルハズナノニ!というような(何かとり替えられてしまったような)不思議な悲しみは、悲しみというより、不思議を以て修正するように悲しみに転移して修飾すると同時に疾に迫る模写発作、敷浪寄せるような嫉妬である。というのも、それは、オマエナド来ナクトモ!というように宙に浮く悠久だからであるが、それは、地球が宇宙に浮かぶような程度としての悠久ではなく、何処デモナイ!、その無へ流されるのである。敷浪は南蛮から打ち寄せるのではなく、南蛮とは(盗まれているのに奇妙にも疚しく)打ち寄せる敷浪なのである。
それは、責めとも禁止ともつかない。見てはならないのに思いがけない景色を見たから和蘭陀に流されるのではなく、思いがけない景色とは、景色というより、思いがけないを以て修正するように景色に転移して修飾すると同時に無に迫る模写発作なのである。
こうして、「狂風記」は完全犯罪、とっくに闇に葬られた過冷却状態の現在を辿って見せるが、それは、辿ったことにはならない。神託、魔法、腹話術、推理、精神分析の系統発生を一気に(あるいは混沌と)通過するからである。


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