碧空1450 MOON WALK368(演繹するように管を伸ばす妄想の粘菌性)
1450 MOON WALK368(演繹するように管を伸ばす妄想の粘菌性)
「狂風記」(石川淳)の、「ちょうどその頃」は、大気を寂漠に変えない。
この世の片隅をズーム・アップすると同時にこの世の隅々を広闊に見渡す猛禽類の鳥瞰の、その場所の場所の浮上は、途中までしかやって来ない世界の終わり、とっくに終わっている(過冷却状態の)現在、種の夢が個の振りをすると同時に個の場所となって潜伏するのではなく、後れて来るはずの主体は途中までしかやって来ない。それは、思いがけない景色に面して身に覚えのない約束の場所に出たというふうなのであるが、「狂風記」に遍在する、その、身ごもる擬似半陰陽の妄想は、全体が一隅の振りをするために姿を変え、細い管となって入り組んだ陋巷の隅々に導かれるように器官を延長する粘菌の如くのたうって這うのである。
それは、上古の道が現世の巷間に(通り魔が魅(さ)す如く)生きる振りをする粘菌性であるが、身ごもる擬似半陰陽の妄想が演繹するように細い管を伸ばす器官の延長は、盗聴器や伝声管、監視や追跡や変装、忠誠振りや大逆振りとなって姿を変えまくるのである。それは、この「私」は他の誰かなのではないかとか、これは別の物語なのではないかといった狐臭へ導かれる。


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