碧空1468 MOON WALK386(羞恥と旅愁の間に1)
1468 MOON WALK386(羞恥と旅愁の間に1)
目の位置異常と胃袋の位置異常は可逆的に(振動的に)変脱、変態する。その間は、何も変わっていないのにとり替えられてしまっている、というような関係で、何も変わっていないのにとり替えられてしまうというような隠れなさと、暴かれなさの間が対応する。つまり、世界の終わりと、引き伸ばされた世界の終わりの間、過冷却状態の(解離しない)現在と、過冷却状態の(解離した)現在の間が対応するのである。
隠れなさは個が占めるように種が潜伏しないでゴーストがかかり(個と種の区別がおかされ)、暴かれなさは個が占めるように種が潜伏して時間がかかる。この隠れなさは暴かれなさの振りをして種の如く疾しさとなって潜伏して、全体が個虫の振りをして発芽する珊瑚虫や部分の振りをして再発する「LITTLE NURSE」(Mentholatum )状態であるが、この暴かれなさは、解としての個が問のように振る舞い、鏡の奥からいつの間にかこちらをのき込んでいる老いのように、何も変わっていないのにいつの間にかとり替えられてしまうというように猛威を振るう。それは、個と個の間に出現しては逃れ去る一般性を追求することが、まるで真偽が気になることでもあるような、歴史的保留である。
神託、魔法、腹話術、推理、精神分析の系統発生は、こうして真偽が気になるのに一般性の追及にしかならない歴史的保留である。一般性の追求である資本主義がそうであるように、精神分析も真偽はどうでもいい。しかし、告白、伝聞との共謀である推理のように真偽が気になるのが精神分析なのである。雌か雄かを演ずる擬似半陰陽の羞恥のように、真か偽かを演ずるこの腹話術は、歴史的保留こそが療法であるような呪術に密かに顔を赤らめ、身を縮める。
Oedipus は、見えるはずのない景色が見えてしまう器官の位置異常や見えるはずがないのに見られてしまう羞恥発作を躱すために目を潰すのである。しかし、見えないことは隠れることになるのか。Oedipus は羞恥と旅愁の間に彷徨い、物語の系統発生もそうした彷徨の反復なのである。


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