Wednesday, April 10, 2019

碧空1469 MOON WALK387(羞恥と旅愁の間に2)

1469 MOON WALK387(羞恥と旅愁の間に2)  修行の若僧櫟田のひどいどもりと、どもりを増幅するように出っ張った後頭部、しかし、不断に話し捲っているのに世界が終わっているために舌が躓いているかに、足踏みしているかに聞こえるのではないか。ひどくどもる恥辱から世界が終わっているのではなく、世界が終わっているから発信と受信の能所が解離しないで重信回路(phantom circuit )の如くになるのである。  この擬似半陰陽の羞恥を受胎、受肉して、夕子の右の腋毛が見えるあたり、興奮すると紅潮する、雀斑のような斑点の広がりや、お椀を伏せたようなちょうどよい大きさの乳房のすぐ上に(人面瘡のように)ふくらんだもう一つの小乳の、仁丹粒の大きさの乳首となって出芽し、奇形性が月のように盈虚する。  ひどくどもる若僧が国宝の鳳閣に火をつけずにはいられないのは、擬似半陰陽の重心回路の興奮と紅潮と取り返しのつかない奇形性の満ち欠けを制御不能の炎上を以て腹話し、小さく小さく縮むため、縮んで全体を回復するためである。(「五番町夕霧樓」水上勉)  こうした出芽、再発と歴史的保留の間には、羞恥と旅愁の間が対応する。酒井抱一の花鳥図の、物言わぬ植物や窃視的な月と世の片隅をズーム・アップした昆虫や蛙や小禽との関係は、百花春至って誰が為にか開く無関心の山河と国破れて転変する人事との関係に変換できるし、黙って俯瞰している天地自然と山岳を隔てた岩内の大火災や洞爺丸の転覆の阿鼻叫喚との関係は、その変形である。さらにそれは、擬似半陰陽の気配と雌雄異体の気配の関係に跳躍し、羞恥と旅愁の関係に移る。  この跳躍は、山河と人事の関係が羞恥と旅愁の関係に対応するということではなく、山河と人事との間に(羚羊の双蹄が棲息圏を映し出し、化石した骨の破片から太古の生態が浮かび上がるように)問と解の関係が出現して、その媒体性に関して、問が解の場所となって潜伏しないか潜伏するか、隠れなさか暴かれなさか、ゴーストがかかるか時間がかかるか、世界の終わりか世界の終わりが引き伸ばされているかの断絶が出現するということである。

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