碧空1477 MOON WALK395(カルモチン、屈辱の質料化、麻痺あるいは度忘れ状態)
1477 MOON WALK395(カルモチン、屈辱の質料化、麻痺あるいは度忘れ状態)
養賢の金閣寺は少女たちの丑待ちの鏡のようなもので、しかし異性ではなく、罠にかかった虎つぐみや兎を映し出す。この胃袋の位置異常は、すなわち種と別の種の区別がおかされる擬似半陰陽は、祖と弟子の区別がおかされる殺祖のように、養賢の理解を掻き乱し、反直観的である。
金閣放火は、この反直観的な殺祖に面して掻き乱された狼狽から、丑待ちの鏡をどこかに隠して魂を見まいとするのである。罠にかかったかに見えた獲物は、あの、自分を食べてくれといって火に身を投じた兎のようなもので、逆せむしのように痩せ凹んだ養賢の肺浸潤や吃りに形を変えた胃袋は痙攣してもどしてしまうからである。
金閣寺が、丑待ちの鏡が異性を映し出すように、虎つぐみや兎、祖を映し出す媒体として光り出すのは、その本当の持ち主が接近する限りであるから、養賢の金閣寺は、盗マレテイル!などとは覚醒しない。そのような覚醒は、負い目があるかのように丑待ちの鏡に呼び出された本当の持ち主の羞恥と惚恍である。しかし、養賢の、呼び出されていないようなのにどこかに隠さないではいられない疾しさは、面食らうような屈辱なのである。カルモチン百錠は、その屈辱の質料化である。
金閣寺は暗喩としても現実としても貨幣を映し出すのであるが、貨幣の模写能は暗喩としても現実としても種の夢を映し出すのであるから、丑待ちの鏡に映し出された虎つぐみや兎といった種の夢はさらに貨幣になるまでに器官を延長していて、種の夢が金閣寺に顕れようと丑待ちの鏡に顕れようと胃袋の位置異常に変わりはない、その、擬似半陰陽性が屈辱なのである。それが質料化するのは隠さないではいられないからであるが、質料化とはそうした麻痺、あるいは度忘れ状態なのである。


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