碧空1527 phantom circuit35(暗喩の眩惑と救済)
1527 phantom circuit35(暗喩の眩惑と救済)
のぞき穴の向こうの、運命の展開と症状の奇形性は、嫉妬を映し出した暗喩としての「舌を出した般若」であり、運命が盗まれているような、二重人格的に解離した履歴改竄、誰に降りかかっているのか疑わしいということである。
しかも、誰に降りかかっているのか疑わしいのが運命の気配であるのに、運命に覗かれ、呼び出されている気配、何か漠としたエラーの気配がまといついて躱せないのである。
しかし、このエラーの気配を躱せないと感じるのは後れて来る主体であるが、運命の気配が覆うのは大きく後れをとっているのであるから、運命は主体と区別がつかなくなるのではないか。
運命は主体の暗喩である。この位格の取り消しが、底知れぬ命令の気配に浮きのように反応した別の表現である種と主体の間にも起こる。この取り消しが、基督教的にも進化論的にも眩惑と救済の源泉であるが、「Les Miserables」(V.Hugo)の、その抽象と人々の間にも起こる。この人々の暗喩であるこの抽象すなわち「無残にして惨」は単に人々を形容(飛躍的に)分類するのではなく、人々をこの世のものにする形式(責めとしての運命、種)となって、その(次元跳躍的な)暗喩性が何か漠として眩惑と救済なのである。
同じようにして、「The Dead」(「Dubliners」J.Joyce)は、「The Undead」との区別がおかされて過冷却状態の現在がとっくに終わっているように広がるのである。


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