Sunday, August 18, 2019

碧空1556 phantom circuit64(目的なのか場所なのか)

1556 phantom circuit64(目的なのか場所なのか)  個の形式が種であることが不安なのは種が不易なのではなく、個と個の間に出現しては逃れ去るからである。それは、「私」という確信がその限りでは誰の「私」なのか分からないような懐疑である。  偶然の形式が運命であることの不安も運命が不易ではなく問だからである。  症状が無意識の具体であることの疾しさは、敷浪打ち寄せる浜辺の大気が嫉妬であるようなもので、あるいは幽霊を見つけたのは私なのに幽霊は私を探しているようではない不思議な喪失で、悪が良心の具体であることや偽が精神の具体であることの不可思議、良心や精神が悪や偽となって姿を現わすと同時に姿を晦ます驚きに変脱する。底知れぬ命令の気配は、予定調和的に過ぎないのに起原のように振る舞うのである。  同じようにして、状態としての社会、自然、宇宙となって姿を晦ました世界の終わりの潜伏が、後れて来る主体を呑み込んでしまう最終状態の三重の位格、現実性と媒体性と幽霊性の区別がおかされる惚恍は、雌雄異体の気配となって姿を晦ました擬似半陰陽の潜伏が、後れて来る主体を自食する光景である。それは、社会、自然、宇宙が状態なのか命令なのか、解なのか問なのか、目的なのか場所なのか、解離しないのである。

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