Friday, August 23, 2019

碧空1559 phantom circuit67(自食の冒険、擬似半陰陽の出現)

1559 phantom circuit67(自食の冒険、擬似半陰陽の出現)  ディヴィーヌの精神は雄としても雌としても姿を現わすが、どちらも偽である。しかし、それは、キュラフロアが目を背けないで小人をあまりにも永く見過ぎたために(なんと)小人になってしまうような、自食の冒険なのである。  「Notre-Dame-de-Fleurs」(Jean Genet)が怪談やミステリに傾くというよりは妖精物語で、精神分析に傾くというよりは神話的であるのは、そこに遍在する混合種性が、目を背けないで生首をあまりにも永く見過ぎたために(なんと)生首になってしまうような、小鳥が囀るような(ギロチンの華に魘されるような)うわさ、あるいは目を背けないで悪疫をあまりにも永く見過ぎたために(なんと)悪疫になってしまうような神託だからである。  全身が陽根である(自食の)擬似半陰陽は、そんなふうに出現する。Oedipus の話がミステリを祖述するかに見えるとしても、それは、Sphinxの(眼状紋のような)自食の冒険に面して転移発作的にわき見するようなもので、何から視線を逸らしたのか知らないだけでなく、その何かを躱せもしない。しかも、この、ミステリを祖述するかに見えるわき見は、ミステリのための禁忌である。ミステリのためには、隠語的告白が神託から恐喝へ(腹話術的白状であることに何の変わりもないのに)変脱するが、犯人を捜す者が犯人であるような配剤の奇術はあってはならないのである。

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