Thursday, August 29, 2019

碧空1563 phantom circuit71(祟る光景それ自体が祟る)

1563 phantom circuit71(祟る光景それ自体が祟る)  行方知レズニナッタ蜥蜴ノ尻尾ハ茶釜ニ入ッテ祟ルとは、茶釜になって姿を現わす(従って、姿を晦ます)のであるが、そもそも蜥蜴の尻尾は追い詰められた危機に際して「私」を代表すると同時に代表しないために切り離されるのであるから、「私」というものを打ち消す生首(「私」の出現が「私」の失踪であるような生首)とは暗喩的で、祟ることが重層している。  それは、アンナ、マリア、イエスの系列に、自食の光景としての受胎、擬似半陰陽、何カトナッテ姿ヲ現ワシテ(従って、姿ヲ晦マシテ)祟ること、それ自体が、繰り返し変態、変脱して祟っているようなものである。  「Notre-Dame-de-Fleurs」(Jean Genet)の話法は、そのようにして祟る変態、変脱の蒐集、輻輳である。それは話が展開するというよりは、話の核心が(フランスの原野を彷徨うヴァイドマンの生首のように)不断に序の振りをして、話の核心が繰り返し方解するのである。序は不断にもう一つの序で、その「壁に写る影」が茶釜であるならば、話の核心の「壁に写る影」は尻尾で、この尻尾が茶釜に入って(というより、もう一つ茶釜がある!ことになって)祟るように、話の核心は序になって祟る。つまり、序は話の核心のように振る舞い、単に繰り返しヴァイドマンの生首となってフランスの原野が黄泉返るだけでなく、いつの間にか長靴を穿いた猫がもう一匹いる!のである。

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