碧空1604 phantom circuit112(大仏のように生首が居座った饒舌)
1604 phantom circuit112(大仏のように生首が居座った饒舌)
ジャンが行くためにアルカモーヌやビュルカンといった生首が閃光を出すのは、それが実在するように(従って実在するかのように)後れて来るはずのジャンが途中までしかやって来ないからである。アルカモーヌやビュルカンはジャンの棲処であって、それは、ジャンがアルカモーヌやビュルカンとなって生首の閃光が聖史劇的に再生するのである。何でもない!恥辱の華「薔薇の奇蹟」は、「釈迦牟尼仏、摩訶迦葉仏となって悟る」というように伝達する。すなわち、それは伝達ではない。
生首が無意識に変脱して、症状も同然の生首が無意識のように振る舞い、沈黙が始まるところで沈黙は終わり、制御不能に白状しまくる人面瘡のように極端にしゃべりまくる。それが、「薔薇の奇蹟」(Jean Genet)の、混沌としているかに見えて大仏のように生首が居座った饒舌である。
この饒舌がざわめくのは、個を内包する種や範疇が個と種の解離しない自食の閃光を掻き消してしまう如く、この生首の閃光を掻き消してしまう恐れに冒されているのである。この生首は、底知れぬ命令が偶然や個や偽になって姿を現わすと同時に姿を晦ます解としての質料化なのではなく、運命や種や精神の変脱であるが、質料化に見え、従って矛盾の露骨であるが、矛盾が取り消されているかに見えてしまう。この解離が、その「壁に写る影」(「解離しない」)が覚醒しないようにさざめく日常性なのである。


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