碧空1663 nautilus 6(模写能の間の振動)
1663 nautilus 6(模写能の間の振動)
行動規範の表現が同動症の如くには見えないが決定的にばらばらなのでもなく何か漠として同動症が潜在する国では、人々は制限と検束の枠内に呼び出されたがっている。導かれ、救出されたがっているが自由を探しているのではなく、器官の延長としての諸媒体を更に延長する利器のスピードと引き替えにした被監視状態は同動症の如く、この、制御された人々の同じ動きはまるで、乾燥の危機に際して四方から陸続と終結したアメーバが一体の生き物となってのたうって新天地を索めて民族が移動するかのようで、何か差し迫った脅威に曝されているはずだが、しかも、スピードや移動を自由と取り違えるのである。
そもそも、移動の衝動や未開拓の速度に分け入っていくスピリットは、鳥の飛行がそうであるように、自由と取り違えられる。それは単に飢餓などの危害の回避や、回避の疼くような強迫(危害など実在しない、従って回避することにならない回避発作)であって、自由とは何かまるで違う。
どうして本能の躍動は、恋がそうであるように、自由と取り違えられるのか。それは、どちらも模写能であるが、命令が生き生きと身を投げ出すように祟る模写能と、命令が場所となって疼くように潜伏する(後れて来る主体の)模写能との区別が、模写能の間の振動で揺さぶられるからである。


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