Wednesday, February 05, 2020

碧空1669 nautilus12(15回の鸚鵡貝の目)

1669 nautilus12(15回の鸚鵡貝の目)  海の幸山の幸を求める移動と同じように実在性の程度の範囲で、絶景のうわさや評判に誘われて移動するが、そこに絶景は出現しないので、出現したとしても出来事にはならないので、絶景を写真撮影するのではなく、到達したはずの移動体をせめて実在するように(従って実在するかのように)写し込もうとする。しかしこの、目的と比喩と場所が解離するか解離しないかの間で知らぬ間に、何モ変ワッテイナイノニトリ替エラレテシマッテイル!ことになる。  「Dubliners」(J.Joyce)は15回のepiphany(神的顕現)の目撃のはずであるが、その、浮雲の如きうわさや評判に誘導された移動体(の目撃)は、すなわちのぞき穴は知らぬ間にMessiah 「の」目撃である。むろん、この「の」は、主格、対格、属格、同格、喩格の区別がおかされている。「ダブリンの人々」は、浮雲を目じるしにしたために絶景を何度ものぞきに戻らないではいない移動体をダブリンの人々の影のように写し込む15回の報告に見えるが、目じるしにしていたはずの浮雲を突如として見失う(目的と比喩と場所が解離しない)15回の鸚鵡貝の目なのである。

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