Sunday, February 16, 2020

碧空1676 nautilus19(誘惑的な空っぽ)

1676 nautilus19(誘惑的な空っぽ)  fugue も、届かぬ思いから、何度ものぞきに戻らないではいない形式なのである。目じるし(半具体としての媒体)に辿り着いたと見る間にそれは、具体(媒体)となって零落してしまう。そのようにして、突然の落下や絶景や蜃気楼は逃れ去る。それとは逆向きに変脱しようとするのが、演奏ということになる。  「それはアンスル・ボルンという30歳の巡回牧師で、ある日(1887年1月17日)彼は銀行から551ドルの預金をおろし、突然グリーンから失踪、2ヶ月の間行方不明であった。この間彼はA.J.Brownと名乗ってペンシルベニアのノーリスタウンで小さな雑貨店を切りまわし、仕入れ万端を立派にやっていた。しかもこうした仕事はそれまでに一度もやったことがなかった。1887年3月14日、彼は突然覚醒して家に戻ったが、その間のことは完全に忘れていた」  こうした夢遊的失踪(fugue )も、演奏の如くである。しかし、A.J.Brown の「突然の覚醒」は、眠れる五家荘から紫の煙が上がっているのを豁然と見降ろすような突然の落下や絶景や蜃気楼が日常に身を潜め、後れて来る悔いが、まるで届かぬ思いをしないように、振り向いてはならない、とでも禁止するかのように突然の失踪と行方不明の2ヶ月の間の隠れ里のような、前世を孕んだような生活を「完全に忘れている」。  しかし、この完全な忘却は、他の誰かとなって腹話するような届かぬ思いの、その目じるしなのであるから誘惑的な空っぽなのである。

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