碧空1696 nautilus39(片隅の絶対速度の覚醒)
1696 nautilus39(片隅の絶対速度の覚醒)
テロルの如き、火の鳥の如き天使の言葉は音韻的にも意味的にも分かるのではなく、天使が覚醒するかの如くなのである。その、受身、自発、尊敬、可能が解離しない発語は、発信と受信が解離しないEchoの如く沈黙も同然に「分かる」のであって、この、絶対速度の覚醒は、どの隣人と入れ替わったのか分からないJesus Christの復活と同じく識別不能も同然に「分かる」のである。
片隅の最後の言葉は、音韻的にも意味的にも初めてなのに初めてではなく、その伝達は絶対速度で光り出す。Echoのおしゃべりが届くかのようであるのは遠近法的な錯覚であって、沈黙が曖昧性に変態しているに過ぎない。この変態が個と種の解離で、言葉は擬態としての媒体となって(個別化すると同時に一般化して)伝達するかの如くであるが、この擬態が解けて個と種が解離しない媒体性の覚醒が、名もなく分類もされない救いのない片隅の絶対速度の沈黙である。
つまり、言葉は、半具体としての媒体である擬態と、媒体としての擬態が解けた覚醒の間に振動するのである。何か届かないという焦燥や、何か惜しいという思いは、この、懐疑と驚きの間の振動に迫って片隅の絶対速度の光に被曝するのである。


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