碧空1701 nautilus44(膨れ上がる「麗子」の顔面に乗り移る微笑)
1701 nautilus44(膨れ上がる「麗子」の顔面に乗り移る微笑)
「大言海」にしても「広辞苑」にしても、それは遠吠えのようなもので雌雄異体の気配を孕んでいる。その、眠気のような憂愁は、偶然や個や悪や偽や症状が、また偶然や個や悪や偽や症状となって祟る霊的なものが実在するようにまじなう。
覚醒が絶対服従であるのに対して、分かることは自由な選択である。媒体性が覚醒した隣人は、この「私」の自由な選択、孤独、思考をそれが実在するかのように(従って実在しないのではないかと)脅かし、媒体性が眠り込んだ隣人は、この「私」の自由な選択、孤独、思考を実在するように(従って実在するかのように)制限する。
こうして問としての「私」が解としての「私」となって祟る(次元跳躍する)だけでなく、いつの間にか解としての問に変脱している命令の二重化が「禁止と誘惑の図式」であるが、この二重化が種や全体に感染して予定調和的に膨れ上がるのである。何度ものぞきに戻らないではいないfugue の形式は、この二重化(の、その裂目)を発作的に模写する。発作的に裂目を模写する身振りは戦慄や笑いであるから、「麗子微笑」(岸田劉生)は、予定調和的に膨れ上がる「麗子」を何度ものぞきに戻らないではいない追跡がいつの間にか遁走に変脱する二重化に面して(狼狽から)微笑が「麗子」の顔面に(鏡に映る如くに)転移しているのである。
つまり、「麗子微笑」は、「麗子」となって祟るだけでなく予定調和的に膨れ上がる「麗子」が、模写発作としての微笑を(まるで「麗子」が覚醒したかのように)制御不能に映し出してしまう、絶対服従の三重化である。


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