碧空1724 nautilus67(「私」の頓挫)
1724 nautilus67(「私」の頓挫)
霊的でなくなる、それは、飽カヌカモではなく、飽きてしまうのである。好奇心は飽きていることの一様態であって、その興味津々のはしゃぐ世界の広がりを尋ねても飽カヌカモには茫々として到達しない。
霊的でなくなるために場所となって潜伏する、その場所が変装する社会、自然、宇宙、原書といった予定調和的な全体(蜃気楼)に好奇心は向かうために、それは終わりのない懐疑なのであるが、後れて来るはずの主体が途中までしかやって来ない飽カヌカモとは何かまるで違うのである。
「私」を通して大地が煙草を吹かす如く死者が話すとは、大地が(後れて来るはずの)「私」が途中までしかやって来ないであふれ出すのであるが、この死者は見る間に変異する予定調和的な全体が潜伏して後れて来るはずの「私」の頓挫である。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home