碧空1726 nautilus69(運動の蜃気楼)
1726 nautilus69(運動の蜃気楼)
純粋な偶然が眩暈であるのは運命との区別がつかない運動の蜃気楼である。純粋な落下がスロー・モーションを羽織っているようなものである。それは、打ち消された純粋な上昇の夢のような表出がゴーストとなってかかるのである。
このスロー・モーションは極端な時間の拡大の予感、絶対速度の片隅に出てしまう予感であり、江戸川の長堤に出ると、鉄橋を渡る京成線と総武線の轟きが空へ、というより空から寄せ返す。浜辺に打ち寄せる敷浪は絶対速度に達した悠久のイラストである。
「紀の上一族」(久生十蘭)は反米感情を励起することを表向きの動機にしていたとしても、パリ・コミューンやフランスの疑獄事件に巻き込まれて海の藻屑のように音もなく消えていった留学生たちのように、淋しい沼に沈んでいく光景の目撃を、強迫的に反復している。「私」が呼び出される如く取り消され、生贄なのか救済なのか分からない絶対速度の光景である。この息を呑む光景は、罰として罪に罹るというふうだ。それは秘密な(何か疾しい)目撃であるが、告解のように解毒されて伝達されるような(霊的でなくなるような)光景なのではない。
霊が霊的であるのは、霊的でなくなるから(罪に罹るようにゴーストがかかる、その、底知れぬ反直観的な振動から)である。この反直観的な振動が霊の目じるし、あるいは霊の痕跡、すなわち霊的なのである。絶対速度の片隅に出る、打ち寄せる敷浪は、そのイラストである。


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