Thursday, May 21, 2020

碧空1745 nautilus88(思考の感染)

1745 nautilus88(思考の感染)  誰かになる自由の実験も、誰でもない誰かになる自由落下の実験も、霊的問と霊的でなくなる解とが解離する零落である。試みに自由が代表する「私」は孤独に(誰かとなって)話して思考するが、試みに狐憑きが代表する「私」が自由を忘れないように忘れて理解するのは(誰でもない誰かになった)思考の感染である。  瓜二つの表現と伝達は解離するようで、解離しない。瓜二つの告白と伝聞も解離しない。伝聞は誰でもない誰かの告白、思考の感染であるが、この如何わしさに関して自由が代表する「私」の告白は、思考ガ盗マレテイル!と驚くのである。これは、自由剥奪の覚醒である。  瓜二つのアンナとヨハンの間の思考や記憶の感染の如何わしさは治らないが、解離はする。この解離はアンナとヨハンの間にDrテンマと連邦捜査官ルンゲを導き入れるが、Drテンマの医術はこの半種個の如何わしさを治癒できないし、連邦捜査官ルンゲの捜査術は半真偽の如何わしさを解決できない。そもそも瓜二つの誠実と正当性に分岐した妥当要求が如何わしいのである。  「赤いバラの屋敷」の記憶がまるでヨハンに感染したために記憶を喪失していたとでもいうようなアンナの記憶回復(屋敷から帰って来たのはヨハンではなく、オマエナンダゾ!)は、究極の如何わしさに包まれた神託である。それは瓜二つの偶然と運命や、瓜二つの症状と無意識、あるいは瓜二つの個と種や、瓜二つの悪と良心に面して、自由は狐憑きの如く、孤独は類の如く、思考は生首の如く、区別がおかされ唖然とするのである。(「nautilus79~87」)

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