碧空1774 nautilus117(信憑性の源泉)
1774 nautilus117(信憑性の源泉)
あまりに臨場感があって現場に居合わせた者しか知らないはずの細部に詳しいので、アナタハモシヤ常陸坊海尊デハアルマイカ、と尋ねたくなる。本当に常陸坊海尊その人ならば何百年もの長命ということになる。
この常陸坊海尊は伝聞形式で語るのであるから、のぞくように誘惑する懴悔の気配を人々は漠として感じ、図らずも暗に指摘するだけでなく、このtwice-toldの気配が信憑性の源泉なのである。生命(の伝達)と、その(即興的表現としての)生活が解離しない境地は、そもそもtwice-toldの気配に抱き竦められているのであるが、不随意の解離の技術が、霊的抽象と霊的でなくなる具体が反転する装置をあちこちにコピーし、DNA も言葉も、主語と述語の関係も、主題と素材の関係も、命運と筋の展開の関係も、圧縮された記憶と解凍の関係を反復し、それぞれの水準で、解は問に反転して伸び、種が蜃気楼のように出現するが予定調和的で、いつまでも種にならない。
現に誰かに物語ることは解凍であるが、この解凍は記憶に反転して現に誰かに理解される。この理解は解凍であるが、こうした解凍と反転に終わりはなく、物語の存在は予定調和的な蜃気楼なのである。
つまり、物語「の」存在と種「の」伝達は、互いに暗喩であるように反転する。この、暗喩の形式は、種「の」metamorphosis の形式、an actuality of the possible as a possible の再発である。運命、良心、無意識のように、the possibleは本当らしくも嘘っぽく、この性格は神託のものでもあるが、神託の信憑性はtwice-toldの気配からの転移発作である。しかしそれは、変に肺腑を抉る。
同ジヨウニシテ、二人モーゼ(2Moses)すなわちアロンの声帯を振るわせるモーゼは、変にヘブル人の肺腑を抉る。死者の声が届くのである。Exodusのアイデアも、遠方では時計が遅れるという予言も、twice-toldの吐息がかからなければならない。


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