碧空1779 nautilus122(物語のスリップ)
1779 nautilus122(物語のスリップ)
パロのエジプトの、その足元にその胸元にその顔面に悪夢のように這い上がって、あるいは潜り込んで、蛙が、蚤が、蝗が殺到する。殺到するのは、とっくに霊的でなくなっているはずなのにそうではない半亡命だからである。
この異象の(ヤーウェがモーゼを媒体にして、さらにはアロンの声帯を通して権威づけようとする)信憑性を、パロは幻術、法術の範疇に解消してフン!何デモナイ!とでもいうように頑固に対抗する。しかし事態は正に、何デモナイ!
この異象は、とっくに霊的でなくなっているはずなのにそうではなく、サーカス団がとっくに町を去った後(跡)に出てしまうように、何もかもが退出してしまっている何かほつれた気配に、跡(後)に面してそのことが疑わしいのである。しかしその、別の物語にスリップする疾こそは、twice-toldの気配、ヤーウェに被曝するのである。
しかしなおも、パロは頑固に抵抗する。中間の殺到は、半亡命は、何度ものぞきに戻らないではいないのである。あるいは、パロの抵抗は、知らぬ間にモーゼを精神分析する。
ところで、別の物語にスリップする、その別の物語とは何か。すなわち唐突にも、割禮や、子羊の血の合図があるかないかでエジプトかヘブルかを判別してエジプトの長子を滅ぼしたことを記念する過越の祭祀の、その七日間は酵母を入れぬパンを食べなければならない、というような発作的で、奇妙な律法「の」伝達である。異象が眩惑的に作用しているのは、モーゼである。パロに顕れた異象は、モーゼに顕れる律法の恐喝的注釈、予告なのである。


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